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Your search : [ author:文·写真 狄祥華 沈永淳] Total 721 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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1. 「花菇無黄蛋」と「紅焼肉」
亡くなった中国の指導者毛沢東は湖南の人。彼が生前最も好んだ十種類の湖南料理をいつのころからか「毛家菜」と呼ぶようになった。北京新駅の近くにある天華(ティエンホワ)大酒楼は「毛家菜」で知られる。料理顧問の韓阿福(ハンアーフー)さんは何十年もの間、毛主席の台所を預かった人である。高齢のため毎日は店に出ないが、「毛家菜」の作り方は弟子の楊大清(ヤンターチン)と王剛峰(ワンカンフォン)に伝授してあり、二人
Author: 文·写真 狄祥華 沈永淳 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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2. 破壊から蘇った草原―塞罕壩
「塞罕壩(さいはんば)」は、河北省囲場県と内蒙古自治区赤峰市の境に位置する広大な草原である。もともと「塞罕」はモンゴル語で「美しい」を意味している。その美しさといったら、まさに一幅の油絵のようで、四季折々、景色は劇的に変化する。砂嵐に苦しむ北京からそう離れていないところにある塞罕壩の、春、夏、秋、冬それぞれの素顔を紹介しよう。壮観
Author: 文 写真·狄祥華 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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3. 「辣椒蒜茸清蒸蝦」
北京ではこのところ海鮮料理がはやっている。「何々漁村」といった名前の海鮮料理を食べさせる料亭やレストランが次々と店開きする。最近海淀区復興路(ハイティエンチュフーシンルー)にオープンした「大地美食娯楽城(ターティーメイシーユーローチャン)」―通称美食城も、「漁村」の名はついていないが、その一つである。美食城の料理長李富海(リフーハイ)さんは香港銅鑼((トンルオ))湾の漁船の上で育った。銅鑼湾は漁船
Author: 文·写真 狄華 沈永淳 Year 1996 Issue 6 PDF HTML
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4. 蘇東坡も舌鼓を打った「酔蟹」
浙江省の紹興は歴史の古い文化都市である。一流の文人が集まり、物産が豊かで、食文化が発達している。近ごろは北京にも紹興地方の料理を出すレストランがある。西四大街(シースーターチエ)の「女児紅酒楼(ニューアルホンチュウロウ)」―地方色豊かな、田園の情趣あふれる店である。黄揚生(ホワンヤンション)料理長は特二級の調理師、紹興料理をよくする。まだ三十歳の若さだが、紹興料理にかけては造けいが深い。「紹興料理
Author: 文·写真 狄華 沈永淳 Year 1996 Issue 7 PDF HTML
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5. 「蝦兵蟹将」「油爆蝦」「松鼠黄魚」
北京の什刹海(シーチャハイ)にある上海菜館は生粋の上海料理を食べさせる店として評判が高い。上海人は混じりっ気のない上海料理のことを俗語で上海本幫菜(サンヘイベンバンッエ)と言う。同じようにほかの地方の料理についても、純粋の北京料理なら京幫(チンパン)、蘇州料理なら蘇幫(スーパン)などと言う。郁三興(ユーサンシン)料理長は「本格的な上海料理を食べるには、北京ではまあ上海菜館しかないということですね」
Author: 文·写真 狄華 沈永淳 Year 1996 Issue 11 PDF HTML
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6. 「竹筒烤魚」と「彩蝶撲泉」
北京朝陽区の関東店南街に傣家村大酒店(ダイチアツンターチウティエン)という中国の少数民族ダイ族の料理を食べさせるレストランがある。竹造りの建物、色鮮かな民族衣装のウエートレスたちの醸し出す独特の零囲気が北京のグルメたちに受けている。彼女たちが竹筒からついでくれるダイ族の米酒を一口飲み、歌や踊りを楽しみながら料理を味わう時、ダイ族の食文化の精髄に触れる思いがする。この店の白幼林(バイヨウリン)総経理
Author: 文·写真 沈永淳 狄華 Year 1996 Issue 12 PDF HTML
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7. 花の都 昆明
昆明は中国の西南辺境にある雲南省の美しい都市である。周囲を山にとりかこまれ、ひろびろとした滇池のほとりにあるため、夏は涼しく冬は温かく、年間の平均気温は十六度ぐらいである。こうした温和な気候にめぐまれ、一年ぢゅうツバキ、ビャクレン、ツツジなどが咲き乱れ、全市を花園(はなぞの)と化している。二千四百年あまりの歴史をもつこの昆明には、また、いたるところに名勝旧跡が見られるが、とくに有名なのは西山龍門、
Author: 撮影 狄祥華 Year 1978 Issue 9 PDF HTML
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8. 四川省農村ルポ
何年ぶりかの四川ルポである。四川省は昔から豊かな「天府の国」とたたえられ、「四川が豊作なら国中が潤おう」といわれてきた。ところがここ数年、「四人組」の政策で、乱れに乱れ、農業生産は低下し食糧も他の省や市から援助を受けるありさまとなり、カメラの入りこむ余地もなかったのだ。その四川省がすっかり変わって、すばらしくなったという。そこで、昨年の秋も深まったころ、必ずしも撮影に最適の季節ではなかったが、久々
Author: 撮影 狄祥華 Year 1979 Issue 2 PDF HTML
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9. 中国の地方劇北方昆曲
千里送京娘〈千里送京娘〉(千里、京娘を送る)は、宋朝の初代皇帝、趙匡胤が帝位につく前の物語である。趙匡胤は荒れ寺で強盗の手から京娘を救い出して家に送りとどける。京娘は、義侠心に富むこの命の恩人を慕い、はじらいながらその気持ちを示す。(写真の場面)趙も心を動かすが、下心があって娘を救ったのだろうと人にいわれることをおそれ、遠まわしに彼女をこばむ。断橋「断橋」は古典劇〈白蛇伝〉のひとくだりで、この一幕
Author: 撮影 狄祥華 Year 1979 Issue 6 PDF HTML
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10. 京劇俳優の卵たち
本号の特集は京劇。まずその人材を養成する「中国戯曲学院」の訓練ぶりを見ていただこう。中国語の「戯曲」は「伝統演劇」のことだ。この学校は文化部直属で、京劇演技科、音曲科、演出科に分かれており、さらに脚本科、舞台芸術科、戯曲教育科の開設も計画中という。現在、教職員374人に学生367人というぜいたくな教育ぶりだ。京劇演技科は10歳前後の少年少女を全国各地から選抜し、8~9年にわたって訓練する。こうして
Author: 撮影 狄祥華 Year 1979 Issue 8 PDF HTML